ハッタツソントーク「学校/教育」イベントレポート
ハッタツソン2021のプレイベントとして発達障害のある当事者講師によるトークイベント「ハッタツソントーク」を全3回開催しています。10月23日に開催された第1回目は「学校/教育」をテーマに現役の大学生でADHD、ASD、APD(聴覚情報処理障害)の当事者である西濱 優衣香さんに登壇して頂きました。今回のイベントレポートでは西濱さんの講演内容やイベント後半に行なったワークショップの様子をグラレコ(絵で記録すること)と共にダイジェストでご紹介します。
《登壇者プロフィール》
西濱優衣香(にしはま ゆいか)
神戸女学院大学音楽学部ピアノ科に在学中で、発達障害等困り感のある方も受け入れ可のにしはまピアノ教室を開講中。発達障害とHSPのため生き辛さを抱えていて、こんな私だから出来る教室を開く事を決心。ピアノ演奏・弾き語り・ソプラノ独唱・作曲依頼の受付も行っている。
WEB:https://nishihamapiano.amebaownd.com/
西濱さんはAPD(聴覚情報処理障害)という特性を持っています。
聴覚には異常がないにもかかわらず、聞き返しや聞き誤りが多く、口頭での指示では情報を理解することが難しかったそうです。
例えば体育では、周りの様子を観察してなんとかやり過ごしていましたが、あることをきっかけに先生たちから配慮を受けられるようになりました。
そのきっかけというのが「配慮願い」です。
「配慮願い」とは、
「短期間に回復しない心身の障害等により、通常の授業を受けることが困難な学生に対する措置」のことです。
しかし、その「配慮願い」を出すまでにはいくつも困難があったと西濱さんはいいます。
「何度も面談を繰り返し、自分で自身の特性について伝えないといけない」
西濱さんは困っていることを適切な言葉で表すことができず、必要な訴えをすることが難しかったそうです。
西濱さんは「母親から話をさせてほしい」と何度も交渉を繰り返しますが、大学は「生徒自身で」の繰り返しでした。
しかしその後、文部科学省の配慮願いに関する記載で「原則は学生自身であるが、保護者や支援者の助けを得ることも可能」といった一文を見つけ、さらに粘り強い交渉により、西濱さんは無事に「配慮願い」を提出することができました。
その後、西濱さんは、「特性のためにできないことに対しては、不当に評価を下げられない」ようになりました。
また、大学側も配慮願いについて「保護者や支援者が、コミュニケーション支援をすることも可能。」と方針が変わったそうです。
西濱さんはこれについて、「黙ってないで訴えることで、社会が生きやすく変わっていくと感じた」と話してくださいました。
参加者の方からは、「障害特性を有することの公的な証明書がなければ、学校側からの理解と支援を得るのが難しいという現実があるということが印象に残った。」という教育現場の現状についての意見や、
「配慮は特別扱いではない、目の悪い人が眼鏡を使うようなことと同じというメッセージがよく伝わった」
というような、西濱さんが「配慮願い」の提出を通して感じたことに共感するような意見が集まりました。
参加者からの事前質問への回答
ここで、参加者の方からの質問と西濱さんからの回答をご紹介します。
Q あって嬉しかったサポートはなんですか?
ペアやグループに入れなかった時、それに気づいた先生や、生徒がさりげなく「こっちにおいで」「一緒にしよう」と声をかけてくれたのが有り難かったです。
また、ペアで話し合い決めなければならないことがあったとき、ドギマギした様子を感じ取った子が「話すのが苦手なのかな? 私は大丈夫だから、ゆっくり気にせず話してくれたらいいよ」とリラックスさせてくれ、とても嬉しかったです。
Q 当事者として、こうだったらよかったという提案はありますか?
私は、小さい時には特に「自分の努力不足、自分が頑張ればなんとかなるのでは」と思っていました。だから何かSOSすることは、迷惑になるし、いけないことだと感じていました。
だから「学校が居づらい時、みんなができることが自分だけできない時、そしてみんながわかっているのに自分だけがわからない時」親御さん達は、「それはおかしいことでも駄目な事でもないよ」と伝え続けてあげて欲しいです。
Q 健常者にどう接して欲しいですか?
「私=発達障害」ではなく、発達障害は私の一部にすぎません。
だから発達障害、定型発達、障害者、健常者と分けるのではなく、どのひとも1人の人間として違った特性を持っていると捉え、接して欲しいです。
Q 集団学習環境はどのくらい必要だと思いますか?
私は、集団学習を決して否定しません。でもこれは絶対なくては在らないものではないと考えています。
同年代というだけで、いきなり一つのクラスに押し込められ「仲良くしなさい」と言われても、さまざまな子がいて無理があると思うんです。
そして、同じ到達度に向かって、一律の教え方、接し方しかしてもらえない教育にも問題があります。
人は違いがあって当たり前なのに、学校で決められた標準を満たせないと淘汰されていってしまう現実があります。
だから集団学習が向いている子には集団学習、ホームエデュケーションが向いている子には、ホームエデュケーション、といった感じに学び方に選択制があると、もっともっと生きるのが楽しくなり、自分の能力が発揮できる子がいっぱい出てくると思います。
ワークショップの様子
また、その後に行われたワークショップでは「学校や教育の場で〇〇しづらいなと思った経験」「自分にとっての理想の学校/教育環境」や『ひとりひとりが過ごしやすい「学校/教育の環境」を作るにはどんな仕組みがあるといいと思うか』というテーマで、参加者が3チームに分かれてそれぞれ話し合いました。
実際に出た意見の一部をご紹介しようと思います。
・学校や教育の場で〇〇しづらいなと思った経験
●日本の教育はなんでもできないといけない、「できない」ことに厳しい教育
例えば、国立大学の受験なんて5教科全てできないといけない。
それはとても難しいと思う
●先生たちは良くも悪くも教科書通りに教える。
それはもちろん大事なことでもあるんだけど、教科書に載っていないことでも大事なことはたくさんある。
・自分にとっての理想の学校/教育環境
●従来のスクーリングだけでなく、リモートなど、自分の受けやすい環境で受けられる学校
●カリキュラムが個別的な学校
●評価軸がいっぱいある学校
・ひとりひとりが過ごしやすい「学校教育の環境」を作るにはどうすればいいか
●学校の中に、そこに行ったら必ず助けてくれるといった場所を作る。
助けを出しやすい環境というのはすごく大事だと思う
●普段からさまざまな人が授業風景を観に来られるような場所がいい。
学校と社会の往来を増やすことがとても大事だと思う
ワークショップでは、各チームさまざまな意見が飛び出しました。
最後に
教育現場だけでなく、「理想の社会環境」というのは一人一人違ったイメージがあるのだと改めて気付かされました。
西濱さんが粘り強く交渉したことで大学の方針が変わっていったように、私たちそれぞれが描く「社会環境の理想」に向かって行動していくことの大切さを考える時間になったと思います。
ハッタツソントークについて
ハッタツソン2021のプレイベントとして発達障害のある当事者講師によるトークイベント「ハッタツソントーク」と題して、発達障害に限らずに「日常生活」「学校/教育」「働く環境」の場で感じる様々な見えづらい課題を当事者の視点と経験から紐解いていきその解決策や逆に活かしていく方法を考えていくトークイベントとワークショップを交えたイベントを全3回開催しました。
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この記事を書いた人
グラレコ:遠藤 亜季(NEFNE)
記事作成:池田 美咲